知覧特攻平和公園 (帰省9)

2009年10月12日 / その他

大東亜戦争(太平洋戦争)末期、本土最南端の鹿児島では鹿屋、串良、国分、出水、知覧、万世の各飛行場から多くの若者が片道分の燃料を積んで飛び立って行った。(指宿には海軍の「人間魚雷」の基地もあった。)
陸軍特攻基地のあったここ知覧の特攻平和会館には、1036柱の特攻隊員の遺影、彼等が残した遺書や家族への手紙、遺品など等のほか、海から引き上げられた海軍零式戦闘機「零戦」、陸軍3式戦闘機「飛燕」など多数の貴重な資料が展示されている。
娘夫婦に見せようと記念館を訪れ驚いた。広い駐車場がほぼ満杯。高齢者よりも若い男女、子供連れの家族が多く、みんな真剣に資料に見入っている。27才の娘夫婦も二十歳前後の青年の死に、戦争の愚かさと平和の尊さ、生きること、死ぬこと・・・色々と感じ入ってるようであった。
「命は地球より重い」然は然り乍ら「その命」を懸けてでも守らなければならないものも有る事も忘れてはならない・・・と思う。
LX3
続きはこちら・・・・ アルバムから御覧ください
※逆順路で周ったらしく館内撮影禁止にしばらく気付きませんでした。UPすべきでないかとも思いましたが・・・

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“知覧特攻平和公園 (帰省9)” への2件のフィードバック

  1. tango-3 より:

    赤い文字・・・そうでしたか、
    ボロボロの飛行機、胸が詰まります。以前九州旅行の折、知覧で、この基地の説明もありましたが、バスガイドさんは涙声になり説明が中断した事を思い出しました。

    • blueangels より:

      こう言うのに触れるたびに日々もっと大切に生きなければと思いますが、現実には徒にぐうたらな日々を過ごしてしまってます ^^;

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